①次に、大日本帝国憲法の中身について見ていきたいと思います。
大日本帝国憲法と聞くと、天皇独裁だとか、軍国主義の象徴というふうに思っている人が多いのではないかと思います。しかし、まったくそういうことはなく、当時としては世界で最も民主的と言えるレベルのものが出来上がっていたのです。
シュタイン教授をはじめ欧米の憲法学者に、「そんなに権利をばらまいて、本当に大丈夫か。大混乱になるぞ」と口を揃えて心配されるほどに民主的だったのです。
伊藤博文たちは憲法を欧米に学びに行き、さらに日本で古事記や日本書紀やその他日本の古い文献を読み、日本の歴史や文化や日本人の心を必死に研究し、それから憲法の作成に取り掛かって、日本は10年かかって独自の憲法を作りあげました。
当時は、板垣退助などの自由民権運動派の人たちのような、大衆受けはいいが政治能力がまったくない人たちが、選挙結果次第では政権を取ってしまう可能性があったのですね。だから、誰が総理大臣になっても、何とか政治がまわるような憲法を作らないといけないわけです。現代で言うと、某鳥の人とか空き缶のような人が総理大臣になっても大丈夫なような憲法を目指して作ったわけです。
②では、10年もの歳月をかけて必死に研究して作った大日本帝国憲法とはどんな中身だったのでしょうか。GHQのリベラル左派系が1週間のやっつけ仕事で作った日本国憲法とは、真剣さが違うのです。
まず、自由権があります。居住移転の自由も保障されていましたし、財産権も保障されていました。また、言論の自由も法律の範囲内で保障されていました。こんなこと独裁国家ではあり得ないでしょ。次に衆議院と貴族院の二院制が採用され、今と同じ衆議院の予算先議権がありました。
また、司法権の独立もすでに確立していて、ロシアの皇太子の暗殺未遂事件が起った際に、政府は裁判所に死刑を要求しましたが、裁判所は司法権の独立の立場から、政府の要求を跳ねのけ、無期懲役で刑を確定しています。どうです、民主的でしょ。これらのことを、まだ世界に民主主義という言葉すらなかった時代に日本では実現させていたのです。
③次に、よく天皇独裁と言われるので、天皇の規定についても見ていきましょう。一番誤解されているのが、天皇大権です。言葉だけ聞くと、天皇が独裁できてしまいそうなイメージがあるのですが、そんなことはないのです。基本的に天皇が勝手に一人で権力を行使するということはなくて、内閣が天皇の承認を得て権力を行使をするという形態をとっていました。天皇独裁とは大分ちがうでしょ。要は、天皇は最後に判を押す人という役割だったわけです。
ちなみに、帝国憲法と並んで制定された皇室典範には、天皇家の自立が規定されており、政府と天皇家はお互いに干渉しないことが規定されているのです。つまり、天皇が実質的な政治権力を独占しないように、配慮されていたということですね。
やまとこたろう
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