世界の中のユニークな日本

ユニークな日本文明の解明

5.英国王室と日本皇室の特徴

読者の方から貴重なアドバイスをいただきました。「日本のことを取り上げるなら、同時代の他の地域がどうだったかが気になるところ。そうしないとブログのテーマである日本のユニークさが伝わらないんじゃないかな。」「同じように古い王朝があり、ユーラシア大陸から少し離れた島国である英国との比較があればいいかな。」

これらのgood advaceをふまえて、今回は表題のテーマとして考えて整理しました。ご意見などあればおよせください。更に考えたいと思います。

 

1.王朝の歴史

英国:西暦1066年建国。40代。九王朝。北欧人・フランス人・ドイツ人・スペイン人・オランダ人などと王の出身は多岐にわたり、権力奪取が激しく争われたことがうかがわれます。世界3位の古さ。

日本:『日本書紀』によると紀元前660年建国。126代。一王朝。日本人の万世一系。世界最古。

 

2.民族の神話・民話

英国:5~6世紀に北海からやってきたゲルマン民族のアングル人、サクソン人が侵攻してきて、先住のケルト人を追い出し多数となりました。彼らがこの地域をアングルランドと呼んだのがイングランドの語源と言われています。アングロ・サクソン人最高神ウォーデンほかゲルマンの神々を信仰していましたが、イングランド定住後、徐々にキリスト教化されていきました。

アングロ・サクソン人の侵攻と戦ったケルト人の口承伝説が、アーサー王伝説として伝わっています。ちなみに、ハロウィンはケルト人の祭りが起源と言われています。

日本:『古事記』によると、はじめ高天原タカマガハラ(天界)は混沌としていましたが、アメノミナカヌシ天之御中主神を中心とした造化三神(宇宙創造三神)が生まれ、天と地が定まりました。

その後、男神イザナギ伊邪那岐命と女神イザナミ伊邪那美神が生まれ、高天原の神々が相談され二神に国生みを命じられました。二神は、淡路島、つぎに四国、隠岐島、九州、壱岐島、対島、佐渡島をつぎつぎと生み、最後に本州を生みました。八つの島が生まれたところから、これらの島々を大八島国と呼ぶようになりました。 これが日本の国土のはじまりです。

しかし、女神が亡くなったことが切っ掛けとなり、イザナギの禊ミソギから最高神アマテラスオオミカミ天照大御神が生まれました。天照大御神は子孫のニニギノミコト瓊瓊杵尊に、高天原の稲を授け、葦原中国アシハラノナカツクニ(日本の国)の人々の食物とし、その国を豊かにし、すべての人々が一つの家族のように仲良く平等で平和な国(やまと)を造っていくことを命じられ、ニニギノミコトは九州南部の高千穂の峰に天孫降臨テンソンコウリンしました。

一方、それまで国を治めていたオオクニヌシノミコト大国主神高天原への国譲りを平和裏に承諾しました。

 

3.建国の精神

英国:探しましたが、見当たりませんでした。代わりに、英国初代国王ウイリアム一世の事跡を簡略にまとめてみました。

イングランドでは、7世紀頃アングロ・サクソン人七王国が分立抗争し、デンマーク王に侵攻され、その後独立を取り戻しました。

一方、ウイリアム一世は、元々海賊や略奪を主とする北欧出身のバイキングの一派の首領であり、フランスノルマンディ地方に侵攻し定住支配し、強引にフランス王にノルマンディ公を認めさせました。

その彼は、更に英国を欲し、ドーバー海峡を越え強力な軍事力でアングロ・サクソン人諸王を粉砕し、統一国家を樹立し、英国初代国王の座を奪取しました。彼は、封建制度を導入し、国土を諸侯に与える代償に軍役義務を課し、イングランド古来の制度も活用し、強権支配を断行しました。

彼は、キリスト教会の聖職者の任命権についてもローマ教皇と対立し、国王の優越を主張しました。

尚、彼は、ノルマンディ公と英国国王を兼務し、英国朝廷でも公用語はフランス語でした。イングランドの一般の人々は、暴君から逃げ惑うばかりではなかったかと同情されます。

日本:日本は縄文時代にはほとんど戦争がなく、平和な時代が1万年以上続きました。しかし、弥生時代後半になってくると水田稲作のための水利権の争いや自然災害からくる備蓄米の取り合いなどが原因となり、日本国内で戦いが起こり増えていくようになりました。

天孫降臨されたニニギノノミコトのひ孫イワレビコノミコト磐余彦尊は、日本人同士が戦うことを憂えておられ、すべての日本人が仲良く暮らせる平和な国造りを願われ、南九州を発って東征され、奈良に至りそこを国造りの中心とし、初代天皇に即位され神武天皇と号されました。      

その時、「六合リクゴウ(くに)を兼ねて都を開き、八紘ハッコウ(あめのした)をおおいて(いえ)とさんことまたよろしからずや」という建国の詔ミコトノリを発せられました。

その心は、「国と民の将来のことを考えてここに都を開いた。国中の人々がみな家族の一員のように、仲良く平等で豊かに暮らしていける平和な国をみんなで一緒に造っていこう。」です。一般に「八紘為宇ハッコウイウ」と言われています。これが、日本建国の精神です。

次の動画が参考になりました。現代の政治の根幹にもその精神が生きていることもわかりました。よければご覧になってください。

日本建国の精神「八紘為宇ハッコウイウ」(約20分)

 

                              やまと こたろう

 

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