前回の5.英国王室と日本皇室の特徴 で日英それぞれの建国について書きましたが、英国の古い時代について書かれていませんでした。そこで、今回は、ブリテン島の先史・古代史を少しのぞいてみることにします。
①新石器時代に、西アジアの非印欧語族集団が中東からヨーロッパに農業をもたらし拡散しました。ブリテンにも彼らが移住し、それまでの狩猟・採集を主とする生活から、農耕・牧畜による生活になっていきました。さらに土器が作られ、食糧の貯蔵が可能となりました。磨正石斧や石臼、さらには祭祀用の建築物もつくられました。こうした変化は、ブリテンでは紀元前5000~4000年頃に始まったと考えられています。ストーンヘンジなどの巨石文化の担い手と考えられています。
②ブリテンの青銅器時代は、紀元前2600年頃大陸から印欧語族のビーカー人が流入してきて、金属器を伝えたことから始まったと考えられています。ビーカー人は当初は農耕文化を持ち込んだ非印欧語族の先住民の住む各地をまわって金属器の商いをしていましたが、徐々に経済的手段、軍事的手段によってブリテン島を支配するようになっていきました。彼らは、それぞれ大きくまとまった諸部族となり、鉱物資源などを求めて戦争もしました。
③紀元前9世紀から紀元前5世紀頃にかけてケルト人が大陸から侵入し、鉄製武器によってビーカー人を圧倒しブリテン島各地にケルト人の部族国家を設立しました。
④紀元前55年ローマ帝国の英雄カエサルがブリテン島に侵攻し、西暦43年ローマ皇帝がブリテン島の南部を征服し属領とし、ケルト系住民の上にローマ人が支配者として君臨するようになりました。強権支配に対する旧部族長や民衆の反抗もありましたが、圧倒的な軍事力で鎮圧しました。
ガリア戦記によると、この遠征でカエサルは奴隷100万人を連れ帰ったそうです。古代のギリシヤ都市国家やローマ帝国の社会は、生産・家事労働などのための奴隷を社会的必需品としていたようです。戦争・貧困・犯罪などが供給源となっており、奴隷市場で売買され、個人所有となっていたようです。人数は確かなものが見当たらないのですが、自由人以上の人数がいてもおかしくない感じがしています。日本が侵略されず、奴隷とされなくて本当によかったと思います。
⑤5世紀になって西ローマ帝国がゲルマン人の侵入によって混乱すると、ローマの軍団はブリテンを去っていきました。それにつれて、ゲルマン人の侵入にさらされるようになっていきました。
次に続きます・・・・
やまと こたろう
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